世界の終わりを越えた日
「ペンフレンド」から「ベストフレンド」へ



ああ、今なら書ける。
ずっと置きっぱなしにしていた「20歳になったら書こうと思っていたこと」

先日つぐみさんから回していただいたバトンで
好きな歌詞のフレーズっていうのがあったけど
これをすっかり忘れていた。

及川光博「ペンフレンド」
ミッチーがファンの子の手紙にヒントを得て作ったメッセージソング。
15歳の女の子と文通しているという設定で
「焦らなくてもいいんだよ、大丈夫だよ」と伝える曲。
その中の1フレーズ。

”いつも流行を気にしていた僕は バカにされるのが嫌で
 いつも僕らしく生きれない僕は ハタチに怯えていた”

私の10代は、まさにこれだった。
ミッチーのファンになった当初、14歳の私が
これを聴いて本当に、身動き取れないくらい衝撃を受けた。
だって自分の気持ちそのものだったから。

私が1年で一番嫌いな日は、誕生日の前日だった。
多分、中学生になったあたりから、歳をとりたいと思ったことが無い。
大人になんかなりたくなかった。
20歳は世界の終わりだと思っていた。
どうか子供のままでいさせて下さいと祈る。
叶うわけないと知っていても。

そう思っていたのは、私が早熟な子供だったからだ。
異論反論あるだろうけど、ここではとりあえず好きなように語らせて下さい。
私は幼いながら、とてもよくわかっていた。
”若い”ということが、どれほどの価値を持つのかを。

容姿も学力も身体能力も、全てにおいて平凡で
だけど同時に、自己顕示欲が強くて、他人に褒められたかった私。
でも私は武器を何も持っていなかった。

ただひとつだけ、私は早熟だった。
小さい頃から、友達よりも、大人と交わるのが好きだった。
頭がいいのとは違う。どちらかと言えば、モノを知っていたということ。
大人の目線を真似することができたということだと思う。
そして私は気付くことになる。
もしたとえ、皆に同じように与えられているものでも
それを認識しているのが自分だけだったら
それは、私だけの武器になるのではないか?
同年代の友達を見ると、みんな無意識のうちに体現はしていても
(というか、若いということはつまり無意識で無邪気だ)
それが実際にどれだけ価値があるか、気付いている子は殆どいないように思えた。
じゃあ私は、若いということをことごとく利用してやるよ。

子供であることは楽だった。
稼がなくていい
社会的に厚く守られ、無責任で
ややこしいことになりそうな時は、無知なふりをしてやり過ごせる。
「女子高生が政治について語ります☆」
こんなあざといキャッチコピーを自らのサイトにつけたのも
それが人の目を引くことをわかっていたから。
目論見は成功し、私はちやほやされる快感を覚えた。
若いのに偉いねと褒められることが嬉しかった。

こうやって私は若さを手に入れ、そして同時に老いた。
若さにしがみつきたくて誕生日を恐れた。
なんと皮肉なことだろう。
自分の若さを自覚するということは、
カウントダウンの音が聴こえてしまうことだったなんて。
私は17歳になり、18歳になり、高校を卒業して、ますます20歳に怯えた。
10代という特権階級から、追い出されるのが怖かった。
脳裏にはいつも「ペンフレンド」のあのフレーズがあった。

だから私はやりたいことは全部やった。
若いという付加価値があるから。
今なら失敗しても何とかなるから。
文字通り生き急いでいた私。

転機は19歳だったと思う。
もちろんそれまでの積み重ねがあったからこそだろうけど。
実現すると思わなかったライターの仕事が上手く行き始めた。
素晴らしい人達にたくさん出会った。
海外に出て新しいことを学んだ。

2006年の1月、誕生日の一月前、ミッチーのライヴに行った。
活動10周年記念ライヴで、これまでのベスト盤的内容。
そこでミッチーは「ベイベのみんなに、この曲を」と言って
「ベストフレンド」という曲を歌い始めた。

最初に挙げた「ペンフレンド」はファンの中でも人気の高い曲なのに
何故それではなく、比較的最近の「ベストフレンド」を歌うのか。
「ベストフレンド」は、大人の男女のさりげない機微を綴った曲で
私はずっと「いい曲だけど自分にはまだ早いなあ」と思っていた。

そう考えながら、ぼんやりとミッチーの歌う「ベストフレンド」を聴いていた時
急に「ペンフレンド」の、あのフレーズが頭の中に閃いた。
そして私は愕然とした。
なんてことだ、私はもう20歳になるんじゃないか。
そのことを自然に忘れていたことに驚き
ここで「ベストフレンド」を選んだミッチーの意図を、やっと理解してまた愕然とした。

「ベストフレンド」のこのフレーズ
”あいかわらず僕は僕で 好きな仕事に好きで追われている”
今なら頷きながら共感することができる。
5年経った。私は20歳になり、ミッチーも同じだけ年をとる。
それが当然なのだ。その5年で成長し、変わるのが当然なのだ。
いつまでも15の少女ではいられない。
自分に自信が持てずに、考え過ぎては自分も他人も傷つけて
「ペンフレンド」を聴きながら泣いていた幼い私。
だけどもう、それは過去のこと。
「ペンフレンド」は確かに一生忘れられない曲だ。
でも今聴くべきなのは「ベストフレンド」なんだ。
きっと私だけじゃない、全てのファンに対して、ミッチーはそう想って
「ベストフレンド」をやさしく歌ってくれたんだと思う。

そして20歳の誕生日を迎えた時も、私は驚くほど穏やかな気持ちでいられた。
あれほど恐れていた日だったのに。
ハルマゲドンは起こらなかった。かわりに家族や友達からの祝福と
何より自分自身が、20代を受け入れている事実が嬉しかった。
私は何に怯えていたんだろう。
もはや思い出せないくらいに。

今の私は、自分で稼ぐことの充実も、責任を持ってこその自由も、
大人であることの愉しみを、ちゃんともう知っている。
もちろん私はまだ学生で、親に養ってもらっている庇護下の子供だ。
でも大人になることを恐れていない。
むしろはやく大人になりたいよ。
こんな風に思えるなんて。

いくら早熟だったと言っても
決してこういう考えには至らなかった私。
やっぱり年相応に幼かったね。
よかった。

自分ではままならないことだらけだった10代。
いつも焦って他人の影に怯えていた10代。
だけどそれを通過して20歳の今の私がいるなら
実は素晴らしく成功だったんじゃないか。
10代は愚かで醜かった。
だけど私は全部赦せる、それが真実だから。
幼くてどうしようもなくて泥にまみれて
でも一生懸命だった自分を、きちんと前向きに愛せているから。

20歳になった私は、アイデンティティを持ってる。
自分の性格や特性をよく理解してる。
信頼できる素晴らしい人達にも恵まれている。
年齢なんか関係なく、自分の武器と呼べるものを
少しずつだけど得られている。

とはいえ生き急ぐのは性に合ってるし、もうしばらく続くだろう。
だけどそれは若さに対して焦ってるわけではない
普遍的に、今生きてる貴重な時間に対して、自覚的になれたから。
私の戦闘服はワンピースとハイヒール。
それで走れるだけ走り抜くよ。
ああなんて幸せなんだ。

”10代の君に言えることは「大丈夫、時間は過ぎていく」
 人生の意味など探すより、最高の笑顔でいてほしい”

ちょっと違う10代だったかな?でも悔いなんてひとつもない。
10代の間ずっと、そばにいてくれてありがとう。






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